- 曲名
- おおカメルーン 我らが先祖のゆりかご
フランス語:Ô Cameroun, Berceau de nos Ancêtres
英語:O Cameroon, Cradle of Our Forefathers - 作詞
- René Djam Afame(フランス語)、Samuel Minkio Bamba(フランス語)、Moïse Nyatte Nko’o(フランス語,1928年)、Bernard Nsokika Fonlon(英語,1961年)
- 作曲
- René Djam Afame, 1928年
- 採用時期
- 1957年、1978年
カメルーンの国歌「おおカメルーン 我らが先祖のゆりかご」の解説
カメルーン共和国の国歌「O Cameroon, Cradle of our Forefathers」は、カメルーンでは「Chant de Ralliement」(The Rallying Song)とも呼ばれています。
この曲は1928年にルネ・ジャム・アファメ(René Djam Afame)によって作曲されています。
歌詞は、ルネ・ジャム・アファメ(René Djam Afame)、モーゼス・ニャッテ・ンコオ(Moïse Nyatte Nko’o)、サミュエル ミンキオ バンバ(Samuel Minkio Bamba)によって書かれています。
カメルーンが独立する前の1948年からフランス領カメルーンで非公式に使用されるようになり、フランス領カメルーンに自治が認められた1957年に、正式に国歌として採用されています。
その後、1960年1月1日にフランスから独立して成立したカメルーン共和国によって正式に国歌として採用されています。
1961年に旧英国領南カメルーンがカメルーン共和国に加盟すると、バーナード・ヌソキカ・フォンロン(Bernard Nsokika Fonlon)によって英語版の歌詞が書かれ、後の1978年、正式に採用されています。
また、1970年にはフランス語の歌詞が変更されています。
Reunification Monument – Yaounde / Mark Fischer
カメルーン国歌「おおカメルーン 我らが先祖のゆりかご」の歌詞
フランス語:Ô Cameroun, Berceau de nos Ancêtres |
英語:O Cameroon, Cradle of Our Forefathers |
---|---|
Ô Cameroun berceau de nos ancêtres,
CHORUS:
Tu es la tombe où dorment nos pères,
CHORUS: |
O Cameroon, Thou Cradle of our Fathers,
CHORUS:
From Shari, from where the Mungo meanders
CHORUS: |
カメルーン国歌「おおカメルーン 我らが先祖のゆりかご」の視聴
演奏バージョンです。
英語歌詞の独唱バージョンです。
フランス語歌詞の合唱バージョンです。
カメルーンの概要
- 正式国名
- カメルーン共和国。通称:カメルーン
英語:Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・キャメルーン)
フランス語:République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン) - 独立
- 1960年1月1日にフランスから独立。
- 首都
- ヤウンデ(Yaoundé)
- 面積
- 475,440km2(52位)
- 人口
- 2654万6000人(2020年総計)
- 政治体制
- 大統領を国家元首とする共和制。大統領に強い権力が与えられており、一院制の議会に図ることなく行政執行権を行使できます。一院制の議会の議席は180人。年3回が開催されます。
- 民族構成
- 南部と西部はバンツー系のファン族、バミレケ族、バカ・ピグミー。北部はスーダン系のドゥル族、フラニ族(サヘルに居住)など。275以上の民族集団に分かれています。
- 言語
- 公用語はフランス語、英語です。他にファン語、フラニ語など。英語は旧イギリス領カメルーンの領域だった北西州と南西州のみで使われており、一方、国民の大多数を占めるドゥアラ、首都ヤウンデを含む多くの地域ではフランス語が使われ、英語はあまり通じません。また、旧ドイツ植民地であったことからアフリカで最もドイツ語話者が多い国と言われています。
- 宗教
- キリスト教が人口の約40%、イスラム教が約30%、アフリカの伝統宗教が約30%。 また、約40,000人のバハーイー教徒がいる他、カメルーンやガボンや赤道ギニア沿岸部のバントゥー系民族グループのいくつかでは、呪物崇拝が信仰されています。
- 通貨
- CFAフラン(XAF)