シエラレオネ国歌「High We Exalt Thee」:独立と自由を歌い継ぐ歴史

シエラレオネの国旗

西アフリカに位置するシエラレオネ共和国。その国歌「High We Exalt Thee, Realm of the Free(高く我らは汝、自由の国を賞賛する)」は、多くの人々に記憶される歌です。この国民歌を生み出したのは、作詞者のクリフォード・ネルソン・ファイルと、作曲者のジョン・J・アカーという、それぞれの分野で独自の才能を発揮した二人の人物でした。彼らの芸術性と祖国への貢献が、この歌の基礎を築きました。

国名
日本語:シエラレオネ共和国
英語:Republic of Sierra Leone
曲名
日本語:高く我らは汝、自由の国を賞賛する
英語:High We Exalt Thee, Realm of the Free
作詞者
日本語:クリフォード・ネルソン・ファイル
英語:Clifford Nelson Fyle
作曲者
日本語:ジョン・J・アカー
英語:John J. Akar
採用時期
1961年
キー (調性)
ト長調 (G Major)

シエラレオネ共和国の国歌誕生の背景:独自の才能を持つ二人の貢献

シエラレオネの国歌は、独立という歴史的節目を象徴する歌として、異なる文化背景を持つ稀有な才能を持つ二人の人物によって創造されました。彼らは、それぞれの専門分野から、この国の多様性を歌に反映させたのです。

言語学者にしてKrioの擁護者:作詞者クリフォード・ネルソン・ファイル

作詞者のクリフォード・ネルソン・ファイルは、シエラレオネの首都フリータウンで生まれたクレオール系の人物です。彼は詩作だけでなく、著名な言語学者としても知られています。シエラレオネの共通語であるKrio(クレオール語)を、独自の文法と語彙を持つ言語として確立することに尽力し、その教育と普及に貢献しています。国歌の歌詞自体は英語で書かれましたが、彼の言語に対する深い理解は、歌詞の言葉選びやリズム感に影響を与え、国民に響く普遍的なメッセージの形成に寄与したのです。

外交官であり文化の推進者:作曲者ジョン・J・アカー

作曲者のジョン・J・アカーは、シエラレオネのシェルブロ族の母親とレバノン人の父親を持つという、多様な文化的ルーツを持つ人物です。彼は外交官として国際的な場で活躍する傍ら、1964年にシエラレオネ国立舞踊団を創設した立役者でもありました。この舞踊団は、シエラレオネの多様な伝統的なダンスや音楽を国内外に紹介し、新生国家の文化的なアイデンティティ確立に重要な役割を果たした舞踊団です。。

アカーの音楽には、彼の多文化的な経験と、シエラレオネの豊かな伝統文化への理解が反映されているとされます。国歌のメロディは西洋の行進曲形式を基調としつつも、その中にアフリカのリズムや土着の要素が組み込まれていると評されることもあります。

1961年にイギリスからの独立時に全国国歌コンペティションで選出!

彼らの作品は、1961年にイギリスからの独立に際して開催された全国国歌コンペティションで選出されました。これは、国民から広くアイデアを募り、自国の歌への意識を高め、独立への熱意を共有する目的がありました。ファイルとアカーの二人の作品は、それぞれの分野での専門性と、シエラレオネの多層的な文化・歴史への理解が合致し、新生シエラレオネの象徴的な歌として採用されたのです。

シエラレオネ共和国の国歌「High We Exalt Thee, Realm of the Free」が歌い上げるもの

シエラレオネ国歌「High We Exalt Thee, Realm of the Free」は、そのタイトルが示す通り、勝ち取った「自由」への誇りと、未来への希望を歌い上げています。イギリスからの独立間もない1961年に制定されたこの歌には、新生国家としての理想と、国民が共有すべき価値観が凝縮されています。

独立と自由への賛歌

この国歌は、歌詞の冒頭から「高く我らは汝、自由の国を賞賛する」と、独立の喜びと、その基盤である自由への敬意を表明しています。植民地支配から解放され、自らの手で未来を築くという決意が、歌全体に感じられます。「自由の国」というフレーズは、シエラレオネが奴隷貿易の歴史を経て、自由を求めて集った人々によって築かれたという、この国固有の背景と深く結びついています。

平和と団結への願い

シエラレオネは、独立後に内戦を経験しました。しかし、この国歌が制定されたのは内戦勃発よりも前の独立期であり、歌詞には「堅く団結し」「平和」といった言葉が繰り返し登場します。これは、多様な民族が暮らすこの国において、国民が融和し、安定した未来を築くことへの願いが込められていることを示唆しています。「丘と谷で声はこだまする」という表現は、国土全体で国民が心を一つにすることを象徴していると言えるでしょう。

国土への愛情と知の尊重

歌詞の各連の最後に繰り返される「Land that we love, our Sierra Leone(我らが愛する国、シエラレオネ)」というフレーズは、国土への深い愛情と、国民の揺るぎない帰属意識を歌い上げます。また、3番の歌詞には「知識と真実を先人たちが広めた」とあり、教育や知の継承を重んじる姿勢がうかがえます。これは、植民地時代から独立へと至る過程で、知識が人々の意識を喚起し、自由を求める原動力となったことを示唆しているのかもしれません。

シエラレオネ共和国国歌の歌詞

シエラレオネ国歌「High We Exalt Thee, Realm of the Free」の原語(英語)歌詞、Krio(クレオール語)訳、そして日本語訳をご紹介します。歌詞に込められた深い意味や象徴性を、じっくりとご堪能ください。

英語 (原語) Krio(クレオール語)訳 日本語訳 (試訳)
High we exalt thee, realm of the free;
Great is the love we have for thee;
Firmly united ever we stand,
Singing the praises of our dear land.
Land of the free, thy children awake,
Native and stranger on thy shores, make
One Union strong in freedom’s cause,
Defending the right, obeying the laws.
Wi de apu yon, fri kɔntri wi lan;
Plɛnti lɔv wi de gi yu wan;
Wi de tan op, wan ol wi tan,
De sing prez to wi sweet lan.
Fri lan, yu pikin dɛm wek,
Tru tru Salone ɛn strɛnja dɛn,
Mek wi tan wan, fɔ fri dom,
Wi de defɛn rayt, ɛn obey law.
高く我らは汝、自由の国を賞賛する;
汝への我らの愛は偉大なり;
固く団結し、常に我らは立つ、
我らが愛する地の賛歌を歌い。
自由の地よ、汝の子らは目覚める、
その岸辺の先住民も異邦人も、
自由の大義のために一つの強き連合を築き、
権利を守り、法に従う。
All we can give, is our devotion,
And strength alike with joyful emotion.
Built on the sure foundation of peace,
Through our Union, strength and freedom increase.
We stand for peace, honour and truth always,
Cherishing freedom for all our days;
God bless our nation, Sierra Leone.
Wetin wi go gi na wi devoshɔn,
Ɛn trɛnk wit gladsom imoshɔn.
Bil in wan gud pis fɔ di kɔntri,
Tru wi wan, trɛnk ɛn fridɔm de gro.
Wi de tan fɔ pis, ɔnɔ ɛn trut olwe,
De cheris fridɔm ɔltɛm;
God blɛs wi neshɔn, Salone.
我らが与えうる全ては、我らの献身、
そして喜びの感情と共に等しく力なり。
確かな平和の基盤の上に築かれ、
我らの連合を通して、力と自由は増大する。
我らは常に平和、名誉、真実のために立ち、
永遠に自由を大切にする;
神よ、我らが国家シエラレオネを祝福したまえ。
One ever we seek, one ever we find.
With no division of creed or of kind.
Just justice and freedom for all and for each,
So we stand for unity, peace and truth and speech.
With the will and might, we stand and we sing.
All for our country, our freedom to bring,
God bless our nation, Sierra Leone.
Wan olwe wi de luk fɔ, wan olwe wi de fɛn.
No divisyon fɔ rilijɔn ɔ kayn.
Jɔs jɔstis ɛn fridɔm fɔ ɔl ɛn fɔ wan wan,
So wi de tan fɔ yunity, pis, trut ɛn spiich.
Wit wil ɛn mayt, wi de tan ɛn wi de sing.
Ɔl fɔ wi kɔntri, wi fridɔm fɔ brin,
God blɛs wi neshɔn, Salone.
常に一つを求め、常に一つを見出す。
信条や種類の分裂なく。
ただ全ての人に、一人ひとりに正義と自由を、
故に我らは団結、平和、真実、そして言論のために立つ。
意志と力をもって、我らは立ち、歌う。
全ては我らの国のため、自由をもたらすために、
神よ、我らが国家シエラレオネを祝福したまえ。

歌詞に込められた意味と象徴性

  • 「Realm of the Free(自由の国)」
    • シエラレオネが、奴隷貿易の歴史を経て、解放奴隷の入植地として誕生したという、その特殊な成立経緯を強く反映しています。単なる独立国家ではなく、「自由」という理念が国家の根幹にあることを示唆しています。
    • 過去の苦難から解放され、未来へ向かう国民の希望と誇りが込められています。
  • 「Firmly united ever we stand / One Union strong in freedom’s cause(固く団結し、常に我らは立つ / 自由の大義のために一つの強き連合を築き)」
    • 多様な民族が暮らすシエラレオネにおいて、民族間の対立を乗り越え、国家としての統一と融和を強く願うメッセージです。独立後の内戦を経験した歴史を持つこの国にとって、この「団結」の重要性は計り知れません。
  • 「Native and stranger on thy shores(その岸辺の先住民も異邦人も)」
    • これは、先住民族と、解放奴隷として入植してきた「異邦人」(クレオール人)の両方を指し、歴史的な対立があった両者が共に手を取り合い、国を築いていくという理想が示されています。
  • 「We stand for peace, honour and truth always(我らは常に平和、名誉、真実のために立ち)」
    • 植民地支配や内戦の経験を経て、国家が守るべき普遍的な価値が掲げられています。特に「平和」は、多大な犠牲を払った国民にとって、最も切実な願いであると言えるでしょう。
  • 「God bless our nation, Sierra Leone(神よ、我らが国家シエラレオネを祝福したまえ)」
    • 国家の安寧と繁栄を神に祈る、宗教的、精神的な支えが歌詞の結びに込められています。国民の多くが信仰心を持つシエラレオネにおいて、このフレーズは大きな意味を持ちます。

「自由の地」の光と影:国歌に刻まれた複雑な歴史

さて、この国歌が持つ真の深みは、シエラレオネがたどってきた他にはない複雑で痛ましい歴史を知ることで、初めて理解できるかもしれません。この歌が生まれた背景を深く掘り下げると、そこには他のアフリカ諸国とは一線を画す、独自の植民地化の物語と、それに伴う苦難が見えてきます。

奴隷貿易と「自由の地」の誕生

シエラレオネの沿岸部は、15世紀にポルトガル人が到達して以来、大西洋奴隷貿易の主要な拠点の一つとなりました。しかし、この地がイギリスの植民地となる経緯は、その奴隷貿易の「終焉」と深く結びついています。

18世紀後半、イギリスで奴隷貿易廃止の機運が高まる中で、ロンドンの貧しい解放奴隷(元奴隷や、奴隷として売り飛ばされそうになった人々、あるいはイギリス国内の黒人貧困層)を、アフリカに「帰還」させ、新たな入植地を建設する計画が立てられました。これは人道的な側面と、イギリス国内の社会問題解決という思惑が交錯したものでした。

1787年、この計画に基づき、最初の解放奴隷たちがシエラレオネの地に送られ、現在の首都フリータウンとなる入植地が建設されました。「自由の町」を意味するフリータウンの名は、まさに奴隷制度からの解放を象徴していました。その後も、アメリカ独立戦争後にノヴァ・スコシア(カナダ)に逃れた解放奴隷や、ジャマイカのマルーン(逃亡奴隷)などもこの「自由の地」を求めて入植してきました。

英国による植民地化と支配

当初、この入植地の管理は民間組織が行っていましたが、財政難や現地部族との衝突により運営が困難に陥りました。1808年、フリータウンはイギリス政府の直轄植民地となり、奴隷貿易取り締まりの拠点としても機能するようになります。さらに1896年には内陸部が保護領とされ、現在のシエラレオネの領域が確定しました。こうして、奴隷制度からの自由を謳う地が、皮肉にも宗主国イギリスの支配下に置かれることになったのです。

「自由の地」が直面した内部の課題

しかし、「解放奴隷の楽園」という理想とは裏腹に、植民地時代には多くの苦難が待ち受けていました。

入植初期の厳しい現実

最初の入植者たちは、熱帯病、食糧不足、そしてすでにその地に暮らしていた先住民族との衝突に直面し、多くの命を落としました。

奴隷制度の残存

イギリスが奴隷貿易を禁止した後も、内陸部では奴隷制が残存し、解放奴隷でさえ再び奴隷狩りの標的となることがありました。

先住民族とKrio(クレオール人)の間の軋轢

フリータウンに入植した解放奴隷の子孫であるKrio(クレオール人)は、イギリスの教育や文化を早くから取り入れ、植民地行政において優遇される傾向にありました。このため、内陸部のメンデ族やテムネ族、作曲家ジョン・J・アカーの母の出身であるシェルブロ族など、もともとこの地に暮らしていた多様な先住民族との間で、経済的・社会的な格差と摩擦が深刻化しました。1898年にイギリスが内陸部に課した「小屋税」に反発した先住民族が大規模な反乱を起こした際には、Krio(クレオール人)入植者も巻き込まれ、民族間の緊張が浮き彫りになりました。この対立の種は、独立後も長く国の不安定要因となるのです。

資源搾取と経済的困難

イギリスはダイヤモンドなどの豊富な鉱物資源に注目し、その採掘を進めました。しかし、その利益の多くは宗主国や一部の支配層に集中し、一般の国民にはほとんど還元されませんでした。一部の地域では鉱物採掘のために環境が破壊され、伝統的な農業や漁業に打撃を与えるなど、経済的な苦難が続きました。

シエラレオネの国歌を視聴する

こうした複雑な歴史を見た上で、国歌「High We Exalt Thee, Realm of the Free」を視聴してみると、歌詞やメロディに新たな発見があるかもしれません。記憶に残るメロディと、自由への切なる願いが込められた歌詞を、ぜひご自身の耳でお確かめください。

演奏バージョンです。

独唱バージョンです。

独唱バージョンです。

文化的意義と結び:歴史の苦難を越え、未来へ歌い継がれる魂

シエラレオネ共和国国歌「High We Exalt Thee, Realm of the Free」は、まさにこの国の複雑な歴史と、そこから立ち上がろうとする国民の魂を映し出す鏡です。

「自由の地」として始まったにもかかわらず、奴隷貿易の負の遺産、民族間の分断、そして独立後の内戦といった苦難を経験してきたシエラレオネにとって、この国歌に込められた「平和」「団結」「自由」といったメッセージは、単なる理想論ではありません。それは、過去の痛みを乗り越え、多様な人々が手を取り合い、未来へと進むための切なる誓いであり、揺るぎない希望なのです。

作詞したファイルと、作曲をしたアカーという、それぞれの分野で独自の才能を持つ二人がこの歌を生み出したことは、偶然ではないかも知れません。彼らは、国民の深い感情を理解し、それを普遍的な歌として昇華させる能力を持っていたのです。

この国歌を聴くとき、私たちは単にメロディや歌詞に触れるだけでなく、シエラレオネの人々が歩んできた道のり、そして彼らが未来に向けて抱く固い決意を感じ取ることができるはずです。それは、私たちに多様な文化への敬意と、困難に立ち向かう人間の精神の強さを教えてくれるでしょう。

シエラレオネの概要

正式名称
日本語:シエラレオネ共和国
英語:Republic of Sierra Leone
首都
日本語:フリータウン
英語:Freetown
独立年月日
1961年4月27日
面積
約71,740平方キロメートル(北海道の約0.85倍)
人口
約860万人(2023年時点)
公用語
英語
民族
テムネ族、メンデ族、リムバ族、クレオール(クリオ)族、シェルブロ族など約20の民族
宗教
イスラム教(約78%)、キリスト教(約21%)、伝統的宗教など
通貨
シエラレオネ・レオーネ(SLL)

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