ラオス人の心をつなぐ歌:国歌「ペン・サート・ラオ」の歴史と意味

ラオスの国旗

ラオス人民民主共和国の国歌「ペン・サート・ラオ」は、ラーオ人としての誇りと団結を歌い上げる楽曲です。この歌は、作曲から国歌制定、そして歌詞の変更に至るまで、ラオスがたどった激動の歴史そのものを映し出しています。本稿では、この国歌が持つ成り立ちと、歌詞に込められた意味を、当時のラオスが置かれた状況とともに紐解きます。

曲名
日本語:ペン・サート・ラオ
ラーオ語:ເພງຊາດລາວ
英語:Pheng Xat Lao
作詞・作曲
日本語:トーンディー・スントーンウィチット
ラーオ語:ທອງດີ ສຸນທອນວິດິດ
英語:Thongdy Sounthonevichit
※作詞・作曲者名は、ラオス文化省の公式資料等に準拠。
制定年
1947年(ラオス王国時代)
※1975年に歌詞が変更され、現行版に。
elephant_laos
elephant_laos / Ian @ ThePaperboy.com

国歌の誕生:フランス植民地時代から王国の象徴へ

「ペン・サート・ラオ」の旋律は、第二次世界大戦下の1941年に生まれました。当時、ラオスはフランス植民地支配下にありましたが、日本の進出に伴いフランスの統治権が弱まると、ラオス国内で民族自決の機運が高まります。

こうした背景の中、フランスの保護国であったルアンパバーン王国の王室や知識人層からの依頼を受け、音楽家トーンディー・スントーンウィチットが国歌を制作しました。彼の経歴に関する詳細は少ないものの、当時のラオス知識人層に属し、西洋音楽とラオス伝統音楽双方に精通していたと考えられています。この歌は民族のアイデンティティと団結を象徴する歌として広く受け入れられ、1947年にラオス王国の国歌として正式に制定されました。この制定年は、フランスとラオスの間で締結された条約に基づき、ラオスがフランス連合内の「独立国」として承認された時期と重なります。

Vientiane, Laos
Vientiane, Laos / simply_lydie

Typical Market Restaurant
Typical Market Restaurant / Francisco Anzola

歌詞の変遷:内戦を経て社会主義国家へ

国歌の歌詞が大きく変わったのは、ラオスがたどった激動の政治的変化を反映しています。1975年、長引くラオス内戦が終結し、親米派の王政が倒れて、社会主義を掲げるパテート・ラーオが政権を掌握。これに伴い、王政は廃止されラオス人民民主共和国が樹立されました。

新体制のもと、国歌の歌詞も変革を迫られます。王政を称え、仏教の価値観を反映していた旧歌詞は、新体制のイデオロギーに沿ったものに刷新する必要がありました。新しい歌詞は、新政権の要人であったシーサナー・シーサーンによって作詞され、国のアイデンティティが「王国の民」から「人民」へと変わったことを明確に示しています。

歌詞の比較:王政時代と現行版

「ペン・サート・ラオ」の歌詞は、1975年のラオス人民民主共和国の成立に伴い、王政を称える内容から、社会主義を理想とする内容へと全面的に変更されました。ここでは、王政時代の歌詞と現行の歌詞を全文比較し、その変化を読み解きます。

王政時代の歌詞(1947年〜1975年)

王政時代は、国王への忠誠心と仏教への信仰を称え、民族としての独立と統一を謳う内容でした。

ラーオ語 英語訳 日本語訳 (試訳)
ຊາດລາວຕັ້ງແຕ່ໃດມາ
ລາວທຸກຖ້ວນໜ້າເຊີດຊູສິດທິ
ຮ່ວມແຮງຮ່ວມຈິດຮ່ວມໃຈສາມັກຄີ
ພ້ອມກັນປົກປ້ອງຊາດລາວເຮົາ
For all time, the Lao people
Have glorified their fatherland
United in heart, spirit and vigour
Together, we preserve the dignity of our Lao race
古来よりラオス国民は、
自らの祖国に栄光をもたらしてきた。
心と精神と力で団結し、
共に我らラーオ人の尊厳を守ろう。
ໃຫ້ເປັນເອກະລາດສັນຕິພາບ
ເພາະວ່າລາວທຸກຖ້ວນໜ້າ
ຍັງມີສິດທິໃນການປົກປ້ອງຊາດ
ແລະສືບເຊື້ອສາຍໃຫ້ຍືນຍົງ
Let it be independent and peaceful
Because all Lao people
Still have the right to protect the nation
And maintain their lineage
独立と平和がもたらされるように。
なぜならすべてのラーオ国民は
祖国を守る権利をいまだに持っており、
彼らの血統は長く続くからだ。

現行版の歌詞(1975年〜)

現行版は、王政の廃止と社会主義国家の樹立を反映し、人民の団結と革命の功績を称える内容に変わりました。

ラーオ語 英語訳 日本語訳 (試訳)
ຊາດລາວຕັ້ງແຕ່ໃດມາ ລາວທຸກຖ້ວນໜ້າ
ຮ່ວມໃຈຮ່ວມແຮງສາມັກຄີກັນ
ປະເທດຊາດລາວເຮົາມີຜົນງານ
ປະຊາຊົນລຸກຂຶ້ນຕໍ່ສູ້
ເພື່ອເປັນເອກະລາດຂອງຊາດ
ແລະເສລີພາບໃນປະຊາຊົນ
For all time, the Lao people
Have glorified their fatherland
United in heart, spirit and vigour
Together, we preserve the dignity of our Lao race
古来よりラーオの民は、
心と力を合わせ、団結してきた。
我々の祖国ラオスは偉大な功績を築き、
人民は立ち上がり戦った。
民族の独立のため、
そして人民の自由のために。
ຈາກສັງຄົມນິຍົມ
ໃຫ້ເປັນເອກະລາດສັນຕິພາບ
ເພາະວ່າປະຊາຊົນລາວ
ຍັງມີສິດທິໃນການປົກປ້ອງຊາດ
ແລະເສລີພາບຂອງຕົນ
From socialism
Let it be independent and peaceful
Because the Lao people
Still have the right to protect the nation
And their own freedom
社会主義から、
独立と平和をもたらそう。
なぜならラーオの民は
祖国を守る権利と
自らの自由を持っているからだ。

歌詞の核心的な変化:抜粋比較

全文を比較すると、王政時代の「王家」や「血統」といった要素が現行版では「人民」や「社会主義」に置き換わっていることがわかります。特に、以下の部分にその思想的な転換が顕著に表れています。

項目 王政時代 (1947年〜) 現行版 (1975年〜) 変化が示す意味
国家の主体 「ラーオの血統」(ສືບເຊື້ອສາຍ)
王政に結びついた民族の血統が強調されています。
「人民」(ປະຊາຊົນ)
国家の主権が君主から人民へと移行したことを示しています。
王政から人民主権への移行
国家の理想 「独立と平和」(ເອກະລາດສັນຕິພາບ)
民族としての独立と安定が目標でした。
「社会主義」(ສັງຄົມນິຍົມ)
社会主義体制の構築が新たな国家目標として掲げられています。
君主制から社会主義への転換
行動の原動力 「すべてのラーオ人」(ລາວທຸກຖ້ວນໜ້າ)
王のもとに全ての国民が団結することを促しています。
「人民は立ち上がり戦う」(ປະຊາຊົນລຸກຂຶ້ນຕໍ່ສູ້)
革命を経て、人民自身が国家を創る主体であることを強調しています。
受動的な忠誠から、能動的な革命の主体へ

音楽的特徴と国際的評価

「ペン・サート・ラオ」のメロディーは、ラオス伝統音楽の要素を取り入れた、穏やかで荘厳な雰囲気を持っています。これは、ラオスの主要な伝統楽器であるケーンの音色や、ラオス民謡の音階を想起させる構成に由来します。ケーンは竹筒を束ねて作られた自由簧楽器で、日本の雅楽で使われる笙(しょう)に構造が似ています。ケーンは、五音音階(ペンタトニックスケール)を基調としており、国歌の旋律もこの五音音階を主に使用することで、独特の浮遊感と素朴な響きを生み出しています。

国歌のオーケストラ編曲では、この五音音階の旋律が西洋的な和声と組み合わされることで、伝統的な要素と現代的な要素が融合した、独自の音楽的スタイルを確立しています。

国際的に見ると、国歌の多くが勇壮なマーチ形式であるのに対し、「ペン・サート・ラオ」は比較的穏やかで落ち着いた旋律が特徴です。これは、戦乱の歴史を経て平和を希求するラオスの国民性が反映されたものと言えるでしょう。

ラオス国歌「ペン・サート・ラオ」を視聴する

演奏バージョンです。

合唱バージョンです。

文化的意義

「ペン・サート・ラオ」は、ラオスが歩んできた激動の歴史そのものを物語る歌です。王政から社会主義体制への変遷は、単なる歌詞の変更にとどまらず、教育制度や国旗など、国を構成するあらゆる象徴の再構築を伴うものでした。

この歌は、過去の痛みを乗り越え、人民主体の国家を築き上げたラオス国民の誇りと、未来への希望を象徴しています。

ラオス人民民主共和国の概要

正式名称
日本語:ラオス人民民主共和国
ラーオ語:ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ
英語:Lao People’s Democratic Republic
首都
日本語:ヴィエンチャン
ラーオ語:ວຽງຈັນ
英語:Vientiane
独立年月日
1953年10月22日(出典:ラオス政府公式サイト)。ただし、歴史的にはフランスからの完全独立は1954年のジュネーヴ協定を以てとする見解もある。
面積
約236,800 km²
人口
約758万人(2023年時点)
公用語
ラーオ語
民族
ラーオ族(約53%)、モン族、クム族など
宗教
仏教(約66%)、アニミズムなど
通貨
キープ (LAK)
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