マレーシア国歌「ネガラク」は、マレー語で「我が国」を意味します。この歌には、多民族国家マレーシアが歩んできた歴史と、未来への希望が象徴的に込められています。その荘厳なメロディと心に響く歌詞は、いかにして国民の心を一つにしてきたのでしょうか。この記事では、この歌の誕生秘話、その特別な意味、そして国境を越えた意外な影響について、深く掘り下げていきます。
- 国名
- マレーシア
- 曲名
- 日本語:ネガラク(我が国)
英語:My Country
マレー語:Negaraku - 作曲者
- 諸説あり
- 作詞者
- 諸説あり
- 採用時期
- 1957年
「ネガラク」の誕生:意外なルーツと数奇な運命
1957年、マラヤ連邦はイギリスの植民地支配から独立を果たしました。イギリスによるマレー半島への介入は18世紀後半に始まり、19世紀後半にかけて各州へと拡大し、独立まで長きにわたり支配が続きましたが、遂に独立を果たしたのです。この歴史的な節目に、新しい国歌を制定するためコンテストが開催されました。世界中から514もの作品が集まりましたが、マレーシア初代首相で「独立の父」と呼ばれるトゥンク・アブドゥル・ラーマン率いる国歌選考特別委員会によって、最終候補に残った4作品はすべて却下されてしまいます。その後、4名の著名な作曲家に依頼するも、委員会が納得する作品は生まれませんでした。
そんな中、トゥンク・アブドゥル・ラーマンは、各州歌を聴く中でペラ州の州歌「Allah Lanjutkan Usia Sultan」のメロディを国歌として使うことを提案し、委員会メンバーもこれに同意しました。連邦国家であるマレーシアの半島部北西に位置するペラ州は、イギリス植民地時代には豊かな鉱物資源で知られ、マレーシアの発展に大きく貢献しました。このメロディのルーツは、19世紀のフランスのシャンソン「La Rosalie」にさかのぼるとされます。このシャンソンの詩を書いたのは、フランスの詩人でありシャンソン作者であるピエール=ジャン・ド・ベランジェであると伝えられています。
大衆文化として流行した「トラン・ブーラン」
このメロディは、「Terang Boelan(トラン・ブーラン、月明かり)」という名前で、1920年代から1930年代にかけてインドネシアやマレーシアで大流行しました。1937年には同名の映画主題歌にもなり、戦時中には日本軍の兵士の間でも広く歌われた記録が残されています。
日本における「トラン・ブーラン」と要注意歌謡曲の経緯
戦後、日本では渡辺はま子や雪村いづみといった人気歌手によって「トラン・ブーラン」が歌われ、広く親しまれていました。しかし、1957年にマラヤ連邦(現在のマレーシア)が独立し、このメロディが国歌「ネガラク」に制定されると状況は一変します。マレーシア国内では、国歌の尊厳を守るため、親しみやすい大衆歌謡としての「トラン・ブーラン」を公的な場で歌うことが禁止されました。
これを受けて、日本民間放送連盟は、独立したばかりのマレーシアとの良好な関係に配慮し、1959年にこの曲を「要注意歌謡曲」に指定しました。これは、法的な拘束力はないものの、各放送局が放送を自粛するための業界内ルールでした。一国の国歌が持つ尊厳が、日本でも国際的な配慮の対象となる重要な出来事となりました。
歌詞に込められた多民族共生の精神
『ネガラク』の作詞者は公式には明らかにされていません。しかし、一般的にはトゥンク・アブドゥル・ラーマン率いる特別委員会が、国王の許可を得て作成したとされています。いずれにせよ、歌詞には多民族、多宗教が共存するマレーシアのアイデンティティを雄弁に物語るメッセージが込められています。
| [現地語名] (原語) | 英語訳 (公式訳詞 “My Country”) | 日本語訳 (試訳) |
|---|---|---|
| Negaraku tanah tumpahnya darahku, | My country, my native land, | 我が祖国、私の血が注がれた土地 |
| Rakyat hidup bersatu dan maju, | The people live united and progressive, | 人々は団結して前進し、 |
| Rahmat bahagia tuhan kurniakan, | May God bestow blessing and happiness, | 神よ、祝福と幸福を授けたまえ |
| Raja kita selamat bertakhta. | May our King reign in peace. | 我らの王が平和に統治せんことを |
歌詞の重要フレーズを紐解く
- 「Negaraku」:この国歌のタイトルであり、マレー語で「我が国」を意味します。国歌の最初の言葉としてこのフレーズが使われているのは、国民一人ひとりが国を構成する主体であるという強いメッセージを込めるためです。
- 「tanah tumpahnya darahku」:直訳すると「私の血が注がれた土地」となります。この言葉は、祖国を守るために多くの血が流された歴史を象徴すると同時に、未来永劫この土地を守り抜くという国民の決意を表しています。
- 「Rakyat hidup bersatu dan maju」:「人々は団結し、前進する」というフレーズで、多民族国家であるマレーシアが、民族や宗教の違いを超えて一つにまとまり、共に国の発展を目指す理想が力強く表現されています。
音楽的特徴と国民に与える影響
「ネガラク」は、緩やかでありながらも力強いメロディが特徴です。この荘厳な曲調は、国民に落ち着きと誇りをもたらし、社会全体の調和を促す役割を果たしています。独立前夜、1957年8月31日午前0時過ぎの独立宣言時に初めて演奏されました。国歌に合わせイギリス国旗が降ろされ、マラヤ連邦国旗が掲げられたという歴史的な瞬間を彩ったのです。
この国歌は何度かアレンジされており、1991年に導入されたより速いテンポの行進曲調のアレンジは、国民から「サーカスの音楽のようだ」と不評を買いました。このため、2003年の国歌変更議論が盛り上がった際、元のゆったりとしたテンポに戻され、国民に親しまれる曲調が大切にされました。
マレーシアの国歌を視聴する
この国歌の感動的なメロディを、ぜひ実際に聴いてみてください。
インストルメンタル版
歌唱版
合唱バージョンです。
マレーシアン・ラッパーによるラップ・バージョンです。
文化的意義と結び
「ネガラク」は、単なる国家の象徴を超え、マレーシア国民の魂に深く根付いています。建国以来、この歌は国民のアイデンティティを形成する上で重要な役割を果たしてきました。特に国際的なスポーツイベントでメダルを獲得した際、この歌が流れると、マレーシア国民は民族や文化の壁を越えて一体感を共有し、国家への誇りを再認識します。
マレーシア国歌「ネガラク」は、そのメロディに意外なルーツを持ちながらも、平和と調和、そして国民の結束を歌い上げています。メロディが持つ複雑な歴史と、多民族国家の理想を掲げた歌詞は、マレーシアという国の深遠さを物語っています。この歌に耳を傾けるとき、私たちは、マレーシアの人々が築き上げてきた共生の精神と、未来への希望を感じ取ることができます。
マレーシアの概要
- 正式名称
- 日本語:マレーシア
英語:Malaysia
マレー語:Persekutuan Malaysia - 首都
- 日本語:クアラルンプール
英語:Kuala Lumpur
マレー語:Kuala Lumpur - 独立年月日
- 1957年8月31日(マラヤ連邦として)、1963年9月16日(マレーシアとして)
- 面積
- 約330,803平方キロメートル
- 人口
- 約3,357万人(2023年時点)
- 公用語
- マレー語
- 民族
- マレー系、中華系、インド系、その他先住民族
- 宗教
- イスラム教(国教)、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、その他
- 通貨
- リンギット(Ringgit、MYR)





