ベトナム国歌「進軍歌」全解説:歴史・歌詞・作曲者ヴァン・カオの軌跡

ベトナム社会主義共和国の国旗

ベトナム社会主義共和国国歌「進軍歌(Tiến Quân Ca)」は、ベトナムの激動の歴史と国民の不屈の精神を象徴する歌です。この記事では、この国歌がどのように生まれ、どのようにベトナムの魂として根付いていったのかを深く掘り下げていきます。

国名
ベトナム社会主義共和国
曲名
日本語:進軍歌(しんぐんか)
英語:The Marching Song
ベトナム語:Tiến Quân Ca
作曲者
日本語:ヴァン・カオ
英語:Văn Cao
ベトナム語:Văn Cao
作詞者
日本語:ヴァン・カオ
英語:Văn Cao
ベトナム語:Văn Cao
採用時期
1945年(事実上の国歌)、1976年(正式な国歌)
キー (調性)
ト長調(Gメジャー)の2/4拍子で、力強い行進曲調です。演奏団体や編曲によっては、歌いやすさや楽器編成に合わせて他の調性で演奏されることもあります。
Morning Meeting at the Fish Market in Vietnam
Morning Meeting at the Fish Market in Vietnam / Lucas Jans

国歌「進軍歌」の成り立ち:革命期の胎動と国民的歌の誕生

ベトナム国歌「進軍歌」は、その名が示す通り「進軍」の精神を歌い上げる力強い曲です。この歌がいかにして激動の時代に生まれ、ベトナム国民の心に深く根付いていったのか、その軌跡を辿ります。作詞作曲を手がけたヴァン・カオは、単に国歌の生みの親であるだけでなく、ベトナム近代音楽、特に「戦前音楽(Nhạc tiền chiến)」の黎明期を築き上げた巨人として、今もその名を轟かせています。

「進軍歌」のメロディは、ト長調(Gメジャー)の2/4拍子で行進曲調のリズムで、前進する兵士たちの足音と重なり、聴く者の士気を高めます。ヴァン・カオの卓越したメロディセンスが遺憾なく発揮されており、シンプルながらも覚えやすく、集団で歌うことで国民に強固な連帯感と高揚感をもたらしました。

ヴァン・カオ:芸術家としての出発

ヴァン・カオは、1923年にフランス領インドシナのハイフォンで生まれました。幼い頃から音楽と絵画に非凡な才能を示し、シャンソンなどの西洋音楽とベトナムの伝統音楽に親しむ中で、独自の芸術世界を築き上げていきました。

彼が若き日を過ごした1930年代から1940年代前半は、フランス植民地支配下のベトナムにおいて、西洋音楽の手法を取り入れつつベトナム人の感性を表現する「戦前音楽(Nhạc tiền chiến)」が花開いた時代です。ヴァン・カオはこのジャンルの中心人物の一人であり、ロマンティックな旋律と叙情的な歌詞で、多くの人々の心を捉えました。彼の代表曲『Thiên Thai(ティエン・タイ)』や『Suối Mơ(スオイ・モー)』は、当時のベトナム社会に大きな影響を与え、今も愛され続ける古典です。彼は、音楽家としての確固たる地位を確立し、その繊細かつ深い表現力で、ベトナム人の感情の機微を見事に描き出しました。

革命への参加と「進軍歌」の依頼

しかし、彼の人生は芸術活動だけに留まりませんでした。当時のベトナムには、社会の抑圧と不公平が蔓延しており、独立へのうねりが高まっていました。ヴァン・カオは、このような時代背景の中で、内に秘めた反骨精神を燃やし、ベトミンの活動に共鳴し、依頼を受けて国民的楽曲の制作に協力しました。やがてホー・チ・ミン率いるこの革命組織の活動に深く共鳴し、その大義に身を投じることを決意したのです。彼にとって音楽は、もはや個人的な表現の枠を超え、祖国の解放を訴え、人々の心を結びつけるための強力な武器へと変わっていきました。

1944年、ヴァン・カオはベトミンの幹部から、まさにその「武器」となる歌の制作を依頼されます。当時のベトナムは、第二次世界大戦の混乱に乗じて日本軍が進駐し、フランスの支配力が弱まる一方で、新たな圧力が加わっていました。独立への気運は最高潮に達していましたが、同時に多くの不安と犠牲が伴うことも予見されていました。そのような極限状況の中、国民を鼓舞し、団結させる歌が切実に求められていたのです。

国歌の誕生と独立宣言

革命運動の一員として、自身の芸術と革命への信念を一つに込めたヴァン・カオは、この重責を担い、その強い使命感と卓越した才能を披露しました。数日で書き上げたとされており、その創作スピードは後に語り草となりました。この歌が最初に発表されたのは、1944年11月に発行されたベトミンの機関紙「解放(Giải Phóng)」の紙面でした。当初はごく限られた部数のみが印刷されましたが、その力強いメッセージは瞬く間に人々の間に広まり、独立運動の象徴となっていったのです。

1945年9月2日、八月革命を経てハノイのバーディン広場でホー・チ・ミンベトナム民主共和国の独立を宣言した際、「進軍歌」は新国家の誕生を告げる歌として公に演奏され、事実上の国歌となりました。その後、1946年のベトナム民主共和国憲法において正式に国歌と定められました。そして、1975年のベトナム戦争終結後、1976年7月2日に南北ベトナムが統一されベトナム社会主義共和国が成立すると、この歌はその地位を揺るぎないものとして継承され、今日に至ります。これは、「進軍歌」がベトナム国民の歴史的経験と深く結びついている証拠と言えるでしょう。

Hanoi
Hanoi / namho

Vietnam  Market, Sa Dec, Viet Nam
Vietnam Market, Sa Dec, Viet Nam / Lynda W1

Hoi An Beach
Hoi An Beach / mripp

ベトナムの国歌「進軍歌」(Tiến Quân Ca / ティエン・クアン・カ )の歌詞に込められた深い意味と象徴性

ベトナム国歌「進軍歌」の歌詞は、単なる言葉の羅列ではなく、ベトナムの独立と自由への強い願い、そして国民の決意を象徴する重要なメッセージが込められています。以下に原語、英語訳、日本語訳を示し、その意味を深く掘り下げます。第二連は存在するものの、現在の公式国歌歌詞としては第一連のみが採用されています。

ベトナム語 (原語) 英語訳(一般訳詞) 日本語訳 (試訳)
Đoàn quân Việt Nam đi
Chung lòng cứu quốc
Bước chân dồn vang trên đường gập ghềnh xa
Cờ in máu chiến thắng mang hồn nước
Súng ngoài xa chen khúc quân hành ca.
Đường vinh quang xây xác quân thù
Thắng gian lao cùng nhau lập chiến khu.
Vì nhân dân chiến đấu không ngừng
Tiến mau ra sa trường.
Tiến lên! Cùng tiến lên!
Nước non Việt Nam ta vững bền.
Soldiers of Vietnam, forward!
With one will to save the Fatherland,
Our hurried steps resound on the long and arduous road.
The flag, crimsoned with victory, carries the spirit of the nation.
The distant gunshots mingle with our marching song.
The path to glory is built upon the corpses of our foes.
Overcoming all hardships, together we build our resistance bases.
For the people, let us fight relentlessly,
Rush forward to the battlefield!<
Forward! All together forward!
Our Vietnam is firm and lasting.
ベトナムの兵士たちよ、進め!
祖国を救うために心を一つに
我らの急ぐ足音が、長く険しい道に響き渡る
勝利の血で染まった旗は、祖国の魂を宿し
遠くの銃声が、我らの行進歌に混じる
栄光への道は、敵の屍の上に築かれる
全ての苦難を乗り越え、共に抵抗の拠点を築こう
人民のために、たゆまず戦おう
戦場へ、速やかに進め!
進め!共に進め!
我らのベトナムは揺るぎなく、永遠だ。
— 第二連 —
Ta đã bao ngày ôm ấp chí bền
Chiến đấu mãi một đời không ngừng.
Đường chúng ta đi từng bước chân kiên cường
Lòng yêu nước dâng tràn trong tim ta.
Cờ in máu chiến thắng mang hồn nước,
Súng ngoài xa chen khúc quân hành ca.
Đường vinh quang xây xác quân thù,
Thắng gian lao cùng nhau lập chiến khu.
Vì nhân dân chiến đấu không ngừng,
Tiến mau ra sa trường.
Tiến lên! Cùng tiến lên!
Nước non Việt Nam ta vững bền.
For so many days we have cherished our firm will,
Fighting relentlessly for a lifetime.
Our path is trodden with resilient steps,
Patriotism overflowing in our hearts.
The flag, crimsoned with victory, carries the spirit of the nation.
The distant gunshots mingle with our marching song.
The path to glory is built upon the corpses of our foes.
Overcoming all hardships, together we build our resistance bases.
For the people, let us fight relentlessly,
Rush forward to the battlefield!
Forward! All together forward!
Our Vietnam is firm and lasting.
我らは幾日も固い意志を抱きしめてきた
一生涯、たゆまず戦い続ける
我らの歩む道は、粘り強い一歩一歩で踏みしめられ
愛国心が我らの心に満ち溢れる
勝利の血で染まった旗は、祖国の魂を宿し
遠くの銃声が、我らの行進歌に混じる
栄光への道は、敵の屍の上に築かれる
全ての苦難を乗り越え、共に抵抗の拠点を築こう
人民のために、たゆまず戦おう
戦場へ、速やかに進め!
進め!共に進め!
我らのベトナムは揺るぎなく、永遠だ。

歌詞に込められた具体的な意味

ヴァン・カオは、祖国の未来への希望、独立への強い渇望、そして不屈の闘志を込めて「進軍歌(Tiến Quân Ca)」を作詞・作曲しました。歌詞は、祖国の解放のために立ち上がった人々の勇気と決意を力強く歌い上げています。

  • 「Đoàn quân Việt Nam đi」(ベトナムの兵士たちよ、進め!)

    これは単なる命令形ではなく、フランス植民地支配下にあった当時のベトナムにおいて、独立を目指す全ての国民への行動への呼びかけです。軍隊だけでなく、老若男女問わず、誰もが祖国解放のために立ち上がるべきだという、総力戦への意識を鼓舞しています。

  • 「Cờ in máu chiến thắng mang hồn nước」(勝利の血で染まった旗は、祖国の魂を宿し)

    「血で染まった旗」とは、ベトナムの国旗(赤地に黄色の星)の赤色を、独立のために流された人々の尊い血に例えています。この表現は、犠牲の上に成り立つ勝利と、その勝利が単なる領土の獲得ではなく、民族の魂(精神性)を守り抜くことにあるという強いメッセージを伝えています。国旗が単なるシンボルではなく、国民の生命と精神そのものであるという、非常に深い意味合いが込められています。

  • 「Đường vinh quang xây xác quân thù」(栄光への道は、敵の屍の上に築かれる)

    このフレーズは非常に直接的で力強い表現です。当時のベトナムが直面していた厳しい現実、すなわち植民地支配からの解放には流血を伴う戦いが不可避であることを示唆しています。しかし、これは単なる暴力の賛美ではなく、自由と独立を勝ち取るためには、いかなる犠牲も厭わない覚悟の表明です。敵の犠牲の上にこそ、真の栄光と平和が訪れるという、当時のベトナム人たちの切実な願いと決意が凝縮されています。

  • 「Thắng gian lao cùng nhau lập chiến khu」(全ての苦難を乗り越え、共に抵抗の拠点を築こう)

    「gian lao(苦難)」は、フランスによる弾圧や食糧不足、疫病など、当時のベトナムが直面していた複合的な困難を指します。「chiến khu(抵抗の拠点)」は、ゲリラ戦を展開するための隠れ家や訓練地、さらには精神的な結束の場をも意味します。このフレーズは、個人的な苦難ではなく、国民全体が一体となって困難を乗り越え、共に独立のための基盤を築き上げる連帯と共同体意識の重要性を強調しています。

  • 「Vì nhân dân chiến đấu không ngừng」(人民のために、たゆまず戦おう)

    この歌の根底にあるのは、人民のための闘争という思想です。支配者のためでも、特定の個人やイデオロギーのためでもなく、あくまでも「人民」の幸福と自由のために戦うという、革命の正当性を力強く訴えかけています。このフレーズは、ベトナム共産党が掲げる「人民の解放」という理念と深く結びついており、国民が共感しやすい普遍的な大義を示しています。

これらの表現は、単なるスローガンではなく、民衆が共有する苦しみと、それでも諦めないという覚悟の表明だったのです。

音楽的特徴と関連情報

ベトナム国歌「進軍歌」は、その行進曲としての力強さだけでなく、メロディの覚えやすさや構成のシンプルさも特徴です。

ベトナムの国歌「進軍歌」(Tiến Quân Ca / ティエン・クアン・カ )を視聴する

「進軍歌」の力強いメロディを、ぜひ動画でご視聴ください。インストルメンタルバージョンと歌唱バージョンをそれぞれご紹介します。

演奏バージョンです。

合唱バージョンです。

文化的意義と結び:ベトナムの魂としての「進軍歌」

今日、「進軍歌(Tiến Quân Ca)」は、ベトナム国民にとって単なる音楽以上のものです。それは、激動の時代を生き抜いた先人たちの魂の叫びであり、独立と統一を勝ち取った誇りの象徴であり、そして未来へと進むための力強い鼓動なのです。

この歌は、ベトナムが直面した困難な時期、特にフランス植民地からの独立闘争とそれに続くベトナム戦争を通じて、国民の精神的な支柱であり続けました。戦場へ向かう兵士たちを勇気づけ、家族の無事を願う市民を鼓舞し、祖国への誇りを育む歌として、世代を超えて歌い継がれていきました。この歌は、ベトナムの抵抗と生き抜く精神そのものと言えるでしょう。

「戦前音楽(Nhạc tiền chiến)」の巨匠として、そして革命の歌を生み出した天才として、ヴァン・カオの芸術への情熱と祖国への深い愛が結実した「進軍歌」は、これからもベトナムの魂を揺さぶり続け、国民の心を一つに結びつけることでしょう。この歌を通じて、私たちはベトナムの歴史の深みと、国民が共有する強い連帯感を理解することができます。

ヴァン・カオの葛藤

国家の勝利と栄光の裏で、ヴァン・カオ自身の人生には複雑な影も落としました。統一後の社会主義体制下では、芸術に対する国家の管理が強化され、彼のような自由な精神を持つ芸術家は、時に困難な状況に直面しました。「戦前音楽(Nhạc tiền chiến)」の叙情性やロマンティシズムが、革命後の社会主義リアリズムの潮流と必ずしも合致せず、一時期は彼の創造性が抑圧されるような時期もあったと言われています。それでも、彼は音楽への情熱を失わず、静かに創作活動を続けました。

国歌の作曲者という栄誉の重圧と、体制との間で揺れ動く自身の芸術性を、彼はどのように見つめていたのでしょうか。その内面の葛藤は、彼が残した他の作品、例えば、革命後の厳しい時代に書かれたものの、その叙情性やメランコリックな雰囲気が当時の「社会主義リアリズム」とは相容れないとされた「悲しい歌(Buồn tàn thu)」や、晩年のインタビューでの発言の端々からうかがい知ることができます。彼は、芸術家としての自由な表現と、国家の求めるプロパガンダ的役割との間で、常に板挟みになっていたのです。それでもなお、彼は音楽を通じて人々の心を動かすことを諦めませんでした。

なお、近年、この国民的な歌の著作権が議論を呼びました。最終的にはベトナム政府がヴァン・カオの子孫からその権利を取得し、全国民の共有財産としての地位が改めて確認されました。これは、国歌が持つ公共性と歴史的価値を現代社会の中でどう位置づけるかという、新たな時代の問いでもありました。

ベトナムの概要

ベトナム社会主義共和国の基本情報をまとめました。

正式名称
日本語:ベトナム社会主義共和国
英語:Socialist Republic of Vietnam
ベトナム語:Cộng hòa Xã hội chủ nghĩa Việt Nam
首都
日本語:ハノイ
英語:Hanoi
ベトナム語:Hà Nội
独立年月日
1945年9月2日(ベトナム民主共和国として独立宣言)
1976年7月2日(南北統一によりベトナム社会主義共和国成立)
面積
約33万1,210平方キロメートル(日本の約0.9倍)
人口
約9,850万人(2023年時点、世界15位)
公用語
ベトナム語
民族
キン族/ベト族(Kinh / người Kinh)が約86%を占め、他に53の少数民族が存在
宗教
仏教徒が多いが、特定の宗教を信仰しない者の割合も高い。他にカトリック、カオダイ教、ホアハオ教など。
通貨
ベトナム・ドン(VND)

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